現在、私の洋服や靴の納品待ちリストには、ビスポークを含む3足のドレスシューズのオーダーが控えています。完成を楽しみに待つことが、日々の暮らしにささやかな潤いを与えてくれます。
そうしたなか、複数の靴職人の方から共通して聞こえてきた、ちょっと気になる知らせが。2024年6月現在、注文靴の製作において、木型やシューツリーの材料となる材木が品薄になっているのだとか。その影響は、新規注文の納期の長期化だけでなく、既存の注文の納期遅延という形でも現れているようです。
その材木は、シデという名の木とのことです。あまり耳馴染みのない材木ですが、手持ちの書籍などで調べたことを書いてみました。
木型・シューツリー製作とシデ材
靴作りの文脈において、どこかでシデという木の名前を聞いたよな…… という朧げな記憶があったので、ドレスシューズ関連の手持ちの本を片っ端から確認したところ、かの「最高級靴読本」シリーズの1冊の中にその記述を見つけました。
シデ材とシューラスト
それは、英国の高名な靴職人であるEric Cook (エリッククック) 氏の靴作りを特集した記事です。非常に読み応えのある記事の中に、シデ材で木型を作成することに関する氏の見解が示されていました。8ページにもわたる特集の2ページを割いた、Cook氏のラストメイキングに関するセクションより。
出典: Men’s Ex編集部、最高級靴読本 Vol.3、世界文化社、2011年、ページ26(木型の) 素材は木目が詰まった南アメリカ、もしくは東南アジア産のシデ。非常に堅い木材で打撃に強く、さらに温度、湿度の変化にも強い。つまり、形・サイズが変わらない。1つのラストを作るために、この堅い木材とびっしり3日間格闘。大抵の職人は8割までを外注するが、クック氏は角材状態から自分で削る。
他にも、紳士靴愛好者のバイブル「紳士靴のすべて」にも、同様の説明が見つかりました。
ラストがその機能を完璧に発揮できるのは、最上質な木材で作られたときのみだ。そして、高品質な靴もこうしたラストからしか作ることができない。例えば、トゥキャップやヒールカップなどの型は、硬質だが最低限の弾力性がある木材でできたラストでなければ適切に加工できない。これに対応できる原材料は、変動する湿度や温度に耐性があり、大きな圧力や鋭い打撃、打ち込まれる釘にも耐えられる木材である。その条件を満たす木材には、カエデ、ブナ、オーク、ニレ、クルミなどがあるが、完璧だといえるのはヨーロッパブナとシデだけであり、それゆえラスト作りにとって最も経済的な木材であるともいえる。
ラズロ・ヴァーシュ 他 著、紳士靴のすべて、グラフィック社、2018年、ページ36
このように、アッパーの釣り込みや中底のクセつけの際の釘打ち・ハンマリングなどに耐え、かつ狂いの少ない特性が、ラストメイキングに最適であるようです。
余談ですが、最高級靴読本シリーズに象徴されるように、この時代、そしてさらに昔のMen’s Ex編集部は、本当に骨太な取材をしていたなと感銘を受けます。現在は見る影もなくなってしまいましたが……。インターネットの台頭と引き換えに、こうしたオールドメディアの情報発信力が削がれていってしまったのは残念。
シデ材とシューツリー
汎用のシューツリーの場合、ブナ材やレッドシダー材をはじめさまざまな木材で作られたものが市販されています。そうした中で、シューツリーがシデ材不足の影響を受ける理由はどのようなものなのでしょうか?
(推測) シューツリーにもシデ材が使われる理由
シューラストにシデ材が好まれる理由は既に議論したとおりですが、そもそもなぜシューツリーもシデ材である必要があるのでしょうか?シューツリーに釘を打ったりハンマーで叩いたりする人はいないでしょうし、経年で多少寸法が狂ったところでさしたる問題はないはず。
私がお会いした靴職人の方から伺った範囲だと、木型から起こした靴のシューツリーは木型メーカーに製作を外注しているケースが多いようです。具体的には、靴の底付けが終わった後に靴を木型から取り外し、木型メーカーに送って木型のコピーを作り、最終的にそれをラステッドシューツリーに加工するというワークフローとなっているようです。木型メーカーにとっても、ややもするとそれほど受注ボリュームが多くないビスポークのラステッドシューツリーのためにシデ材とはべつの材木をストックする (そして、装置の運転の際に都度レシピを調整する) のはコスト増になるので、シューツリーも木型と同様にシデ材で製作する、といった理屈なのかなと想像します。
なお、冒頭で言及した「既存の注文の納期遅延」が起こるのは、まさに上記のワークフローが原因になっているのではないかと推測します。すなわち、底付けが完了し、靴から木型を外す製作の後期のタイミングまでシューツリーの発注ができないので、先行して発注するというわけにもいかないのでしょう。
シデ材で作られた汎用シューツリー
一方で、過去にはシデ材で汎用のシューツリーを展開する試みもあったようです。日本のシューケア用品大手のアールアンドデー (R&D) が、靴木型専業メーカーの中田ラストとのコラボレーションでシデ材のシューツリーを展開しています。
目を引くのはその価格。ブナ材を使用した同社の通常仕様のシューツリーが1万円少々で展開されているところ、その4倍の価格となっています。
シデ材の供給不足?
小一時間ググっただけで見つけた程度のものですが、最近の調査結果の中でシデ材の不足を匂わせる報告がありました。
2022年と少し古いものですが、米国のとある造園用資材の卸売業者が、米国産で造園用の生木の供給動向をまとめたレポートがあります。その中に、あらゆるサイズのセイヨウシデ (European Hornbeam) の枯渇が報告されています。その深刻度 (Severity) はマックスゲージ。理由は詳細には紐解かれていませんが、シデを含む米国北部原産の木資源全般の枯渇にいえることとして、需要の急激な上昇、および苗木の不足が指摘されています。
出典: GoMaterials, The 2022 Plant Shortage Report, 2022, page 8
https://blog.landscapeprofessionals.org/report-the-2022-plant-shortage
造園用の生木と製材された材木とは事情が異なり、かつ米国以外の動向は異なるかもしれませんが、全体的な需要過剰の煽りを受けているのかなと想像されます。
最後に
今回は、最近私が耳にした、注文靴を取り巻く気になる動向を取り上げてみました。
私が調べた限り、英語も含め X (旧 Twitter) や紳士靴系のオンラインフォーラムでは話題になっていないようですが、この先どうなるのか。近年は日本初の手製靴の人気が高まっていますが、それもひとえにビスポーク用の木型やシューツリーを供給できるメーカーの支えがあってこそ。シデ材不足がそうしたメーカーの体力に深刻な影響を及ぼす前に、事態が改善されることを願ってやみません。
最後に余談ですが、シデ材は下のような用途でも使われているようですね。所有者のスタイルに応じてパーソナライズされるという点は、注文靴の世界に通ずるところがあるのかもしれません。
本記事の他にも、ドレスシューズのディテールや工程に踏み込んだものとして、先芯 (トゥパフ) や月型芯 (ヒールカウンター) に関する記事や閂 (かんぬき) 止めに関する記事を公開しています。
また、国内の靴職人の方によるビスポークの靴や、海外の手製靴メーカーに注文した既成靴・MTO靴に関する記事も公開しています。ご関心があれば、下のリンクから併せてご覧ください。
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