前回の記事を皮切りに、普段とは趣向を変え、10年以上も昔の旅の回想エピソードをお届けしています。
前回は、旅に出るに至ったきっかけや、旅に利用した鉄道サービスに関する概要を紹介しました。今回からの数回にわたって、それぞれの移動行程や滞在先での思い出話を紹介していきたいと思います。
前回も掲出しましたが、当時の旅の総行程は下の図のようなものとなります。
今回は、その中でも西海岸を渡り歩いた行程1・行程2を紹介したいと思います。
行程1 – サンフランシスコ → ロサンゼルス
日本からのフライトを経て、最初に降り立ったのがサンフランシスコ (San Francisco) です。
サンフランシスコでは数泊し、ベタにウォーターフロントを散策したり、自転車でダウンタウンからゴールデンゲートブリッジの向こうに行ってみたりしながら、これからの旅生活に想いを巡らせていました。
宿泊先にたどり着くのが至難の業
現代でこそ、スマートフォンの地図アプリや海外でのモバイルデータ通信が当たり前に使えるようになり、旅先であっても道に迷うことは少なくなりました。
しかしながら、私が旅した当時はGoogleマップこそあれども、出先でブラウジングすることは不可能に近いもの。少なくとも各地で宿泊地のユースホステルに辿り着けないことには何も始まらない、ということで、出発前にGoogleマップで宿泊先の周囲の地図をスクリーンショットに撮っておき、A4サイズに目一杯引き伸ばし、コピー機で印刷して持参することとしました。今となってはアナクロに感じますが、これが当時できた精一杯の準備でした。
サンフランシスコでは、ダウンタウンの一角であるテンダーロイン (Tenderloin) 地区のユースホステルを押さえていました。空港から鉄道や地下鉄を利用してダウンタウンに向かうのですが、サンフランシスコでのホステル探しは米国での初めての経路案内ということもあり、徒歩10分の距離を1時間以上延々と彷徨うこととなりました。
当時のダウンタウンの治安
ところで、サンフランシスコといえば、そのダウンタウンにおける治安の悪化が問題視されるようになっています。その代表格が件のテンダーロイン地区で、昨今では薬物汚染が深刻化していると聞きます。
しかし、当時を振り返ってみると、特に危険を感じることはありませんでした。加えて、当時泊まったユースホステルはテンダーロイン地区のド真ん中にあったのですが、私の滞在時はそこまで強く不安を覚えるエリアではなかった印象です。深夜も平気でこの界隈を出歩いたりしていましたが、身の危険を覚えるイベントには遭遇しませんでした。
ここから同じカリフォルニア州のロサンゼルス (Los Angeles) へと南下するのが、最初の行程です。
鉄道網のエアギャップ
ところで、サンフランシスコとロサンゼルスの間には直通の鉄道網がありません。これは2024年現在も然りで、この区間を含めカリフォルニアに散在する鉄道網のエアギャップを埋めたり、高速で効率的な輸送網を整備すべく「California High-Speed Rail (カリフォルニア高速鉄道、CAHSR)」事業が進んでいるのが現在地のようです。
バスと鉄道での移動
そこで、サンフランシスコからサンタバーバラ (Santa Barbara) までの約570 kmを長距離バス (Motorcoach、モーターコーチ) で移動し、サンタバーバラからロサンゼルスまで「Pacific Surfliner (パシフィックサーフライナー)」という鉄道サービスを利用することにしました。サンタバーバラはロサンゼルスから170 kmと少々しか離れていないので、この行程はほぼバスでの移動と相成りました。ただし、バスの行程も「Amtrak Thruway Connection」という枠組みのもと、鉄道とまとめて手配することが可能でした。
価格の詳細は後述しますが、安かったのでサンタバーバラ – ロサンゼルス間はビジネスクラスを手配しました。
私が乗車したPacific Surflinerの車掌はユーモア溢れる方だったのでしょうか、アナウンスのたびに車内が爆笑の渦に包まれていました。ただでさえ英語が聞き取れない上に、車内放送の歪んだ音声のせいで、私はまったく追いつけず。米国っぽいノリを享受できたのはよかったです。
朝6時にサンフランシスコを出発し、サンタバーバラに到着したのが午後2時前。そこから3時間鉄道に乗り、ロサンゼルスのユニオン駅 (Union Station) に到着したのが午後5時過ぎ。昼行便の移動で丸一日を費やしたこととなります。この後の行程を考えると、まだまだ序の口なのですが……。
USA Rail Passを使わずに実費で乗車券を購入
ところで、USA Rail Passの有効期間が30日間であるのに対し、今回の総日程は30日を超えたものとなっていました。そして、パスの有効期間でカバーできない行程は乗車券を実費購入する必要があります。旅の最初と最後のどちらで実費購入するかを検討した結果、この行程にて実費でチケットを購入するのが経済合理的と判断。実際のチケット購入価格は65米ドルで、700 km以上移動したことに対してかなり安いなと感じた次第です。
利用した便:
- バス – サンフランシスコ → サンタバーバラ (570 km・8時間)
- Pacific Surfliner – サンタバーバラ → ロサンゼルス (170 km・3時間)
この時点での累計車中泊数: 0泊
行程2 – ロサンゼルス → グランドキャニオン国立公園 (1車中泊)
ロサンゼルスではハリウッドを拠点に数日を過ごしました。定番の観光地であるハリウッドブールバード (Hollywood Boulevard) を観光したり、ウェストハリウッドのメルローズアベニュー (Melrose Avenue) 界隈を散策したり。
ロサンゼルスでは、地下鉄での移動中に突然複数の警官が乗り込んできて、私と同じ車両に乗っていた乗客を逮捕して連れて行くような出来事もありました。アメリカのクライムサスペンスドラマが好きだった私にとっては、中々のアトラクション。
その後、名勝地であるグランドキャニオン国立公園 (Grand Canyon National Park) を訪れることにしました。
各地で利用したユースホステル
ところで、前述のサンフランシスコ滞在時も然りですが、旅費を節約すべく道中は基本的にユースホステルに宿泊しました。
経営母体の信頼性を考慮し、できるだけHostelling International (ホステリングインターナショナル) 系列のホステルを選ぶようにしましたが、空き状況や立地の兼ね合いで民間のホステルもいくつか利用しました。ロサンゼルスで利用したのも、こうした民間のホステルでした。
安さ重視でユースホステルを選んでいるので、もちろんドミトリー (相部屋) に泊まります。まったくの赤の他人とベッドルームを共有するのは未知の体験でしたが、幸いどこに行ってもルームメイトには恵まれた方で、一緒に遊びに出かけたり、部屋でこっそり酒盛りしたりと楽しく過ごせたのがいい思い出です。なお、毎度チェックインの際に「ここはAlcohol freeだから云々」と言われましたが、これは「アルコールは自由に飲んでOKだよ」の意だと最後まで勘違いしていました。反省。
宿泊費は平均で1泊30米ドル程度。安いところは25米ドルを下回り、ニューヨーク (New York) のマンハッタン (Manhattan) のホステルは少し高めで45米ドルといった感じでした。朝食代がこの中に含まれていたり、別料金だったりという具合。
そして、朝食で多かったのが、自分でパンケーキを焼いて食べるパターン。キッチンに大量のパンケーキのタネが準備されていて、好きなだけ焼いて食べられるシステムとなっていました。願わくばもっとマシなものを食べたくもあるのですが、節約のためパンケーキで糊口を凌ぎます。
USA Rail Passの発券
閑話休題。
USA Rail Passを使用した鉄道乗車はこの行程から。ロサンゼルスはダウンタウンのユニオン駅 (Union Station) の窓口に日本で入手したパスのバウチャーを持参し、発券をしてもらいました。
同時に、窓口で長距離路線を中心に席の予約も実施していただきます。少なくとも当時はWeb上での予約の仕組みがなく、予約は窓口に赴くか電話かの2択でした。下の写真のような工程表を作成・印刷して窓口に赴き、なるべく円滑に予約を進めていただけるようにしました。
ハリケーンの想定外の影響
しかし、この予約手配にとてつもなく難儀したのです。
実は、当初はグランドキャニオンに訪れる予定はなく、ロサンゼルスの次は米国南部のニューオリンズ (New Orleans) に訪れるつもりで計画をしていました。しかしながら、2005年に同地を襲ったハリケーン「カトリーナ (Katrina)」の影響で、一部区間で鉄道サービスが復旧していないということを渡米後に初めて知ることとなり、急遽ロサンゼルス以降の行程を変更することになりました (滝汗)
窓口の方がこのことを伝えようとしてくれるのですが、私はその方の英語が十分理解できず、なぜ南部行きの便を予約できないのか?としつこく食い下がります。後少しで警備員に摘み出される、という瞬間まで状況を飲み込めませんでした (誇張なしの事実)。
行程の再調整が最小限になるように旅程を組み直した結果、ロサンゼルスからグランドキャニオン国立公園にエクスカージョンし (本行程・行程3)、次いでサンディエゴ (San Diego・行程4)、シカゴ (Chicago・行程5) に訪れることにしました。さらに次のワシントンDC (Washington DC) への訪問をもって、ようやく当初の予定に合流する形となります。
このやり取りで心が折れかけましたが (笑)、なんとか気を取り直して次の目的地へと向かいます。
なお、カトリーナの影響で運休している路線は、被災から20年近く経った今も再建が協議されている段階のようです。
各所への電話
上述のように、道中メンタルにダメージを負う場面が少なからずあったのですが、そうした時は日本の友人に電話するなどして癒しを求めました。
当時はインターネット通話のSkype (スカイプ) が多少普及していたとはいえ、事前にスケジュールを示し合わせ、PCの前にスタンバイしておいてから会話するような使い方が一般。そのため、たまたま相手がオンラインになっていない限りは、思いつきで発信しても繋がりにくいものでした。また、私自身もインターネットに接続できる場所にPCを持参しておく必要があります。
また、日本の携帯電話で海外ローミングすると非常に高コスト。そこで、現地で使い捨ての携帯電話を購入し、国際クレジット通話を利用しました。発信のたびにクレジットカード番号を入力するのが非常に面倒でしたが、日本への通話が1分60円と、比較的安価に行えたものです。
初の車中泊、そしてグランドキャニオン国立公園へのアクセス
ロサンゼルスで乗車した「Southwest Chief (サウスウェストチーフ)」にて、この旅最初の車中泊。最初は新鮮で旅情あふれるものだったのですがね、車中泊……。
次の日の早朝にフラグスタッフ (Flagstaff) という手前の街で下車し、そこからはバスに乗り換えます。親切にも、到着の30分ほど前に車掌が起こしに来てくれました。
乗り換え時間が30分ほどあったので、フラグスタッフの小さなダウンタウンを散策したり、同じバスを待つ人と談笑したりして暇を潰しました。このときお喋りしていたメキシコ人のおじさん、バスの乗車時に提示したIDがInvalidだ、みたいな理由で乗車拒否の憂き目に遭っていたのが今でも強く記憶に残っています。
今回利用するバスも、レールパスの乗り放題の対象に含まれています。途中、ウィリアムズ (Williams) 駅に停まってさらに乗客を乗せ、グランドキャニオン国立公園に向かいます。ウィリアムズはロサンゼルスから見るとフラグスタッフよりも手前の駅で、ウィリアムズからはグランドキャニオン鉄道 (Grand Canyon Railway) という観光鉄道も走っており、文字どおり鉄道でアクセスすることも可能ではあります。しかしながら、Southwest Chiefとの乗り継ぎの便が悪いため、フラグスタッフからバスで向かうことを選択しました。
利用した便:
- Southwest Chief – ロサンゼルス → フラグスタッフ (900 km・11時間)
- バス – フラグスタッフ → グランドキャニオン国立公園 (150 km・2時間)
この時点での累計車中泊数: 1泊
最後に
今回は、私の北米大陸横断の起点となった西海岸の経由地での出来事を紹介しました。次回の記事では、西海岸から中西部シカゴ、そして東海岸に向かって鉄道で横断する行程について踏み込んでいきます。
実は、この一連の内容は、旅行当時に作成したブログに公開していたものです。しかしながら、公開後2年ほどで使用していたブログサービスが終了となってしまい、以降お蔵入りとなっていました。今回、それを2024年現在の視点でリライトし、再び日の目を見られるようにすることにした次第です。
あと2, 3回ほどこのシリーズが続きますが、どうぞお付き合いください。
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