前回の記事で、最近仕立てていただいたネイビーのブレザージャケットをお披露目しました。
その中で、裏地にシルクを使用したことに触れています。今回は、その判断に至った経緯や仕上がりの様子を紹介していきます。
入手制限が続くキュプラの裏地
ドレスクロージングにおける裏地の定番といえば、キュプラ。特に、〈旭化成〉のベンベルグが定番です。しかしながら、2022年に発生した宮崎・延岡の紡績工場の火災以来、キュプラの裏地の入手性が悪い状況が続いています。
余談ですが、延岡地域の旭化成では、前年の2021年にグループ傘下である旭化成エレクトロニクスの半導体前工程工場でも火災を経験しています。こちらの火災の結果、特にハイエンドなアナログICの供給が滞り、私の当時の仕事にも小さくないインパクトがあったのが記憶に新しい次第です。思えば、これが数年来続いた世界的な半導体不足の序章だったのでしょうか。
閑話休題。上述の工場被災の余波により、私がお世話になる仕立屋さんが取引している付属屋では、国産のキュプラがほぼ入手不可能の状態になっていました。英国のテキスタイルマーチャント〈Lear Browne & Dunsford (リアブラウンダンスフォード)〉のコレクションなどから選ぶというチョイスもありましたが、この機会にシルクの裏地を使ってみる、という考えが頭をよぎりました。
シルクの裏地とは?
ナイロンやポリエステルといった合成繊維、レーヨン、キュプラのような再生繊維が台頭する前は裏地の素材として主流だったシルク。私は、これまでスーツやジャケット、コートなどの裏地にシルクを選んだことはありません。一方、パジャマやガウン、ウールやカシミヤのニットの下に着るインナー、そして枕カバーはシルクを愛用しています。そうしたこともあり、実用性というよりは興味本意でシルクの裏地を試してみたいと考えた次第です。
高明な仕立屋である金洋服店の服部晋氏の著書に、シルクの裏地に関する記載があったので引用させていただきます。
昔は、日本の特産品でもあった絹が、裏地として盛んに用いられました。色が綺麗で厚さも可成り自由に作れ、目方も軽く、又すべりも良い。正に裏地として必要な要素を全て持っていたのです。同じ動物性繊維ですから表地のウールとのなじみも良いし、大変優れた素材でした。でしたと書いたのは、今はあまり使われなくなってしまったからなのですが、この素晴らしい絹に残念ながら一つ欠点があったのです。それは弱い、ということなのです。丁度、ナイロンが出来て、あれ程全盛だった日本の絹の靴下が駆逐されてしまったと同じように、丈夫さ、という点で勝る化繊に、どうしても押され気味になってしまうのです。更にもう一つ値段が高い、というのも欠点の一つかもしれません。
服部晋、「洋服の話」、小学館、2010年、ページ19, 20
丈夫さ、というのは、引っ張りや摩擦に対する強度だけでなく、虫食いの影響も無視 (!?) できないところですね。
今回選んだシルクサテンの生地
そこで、件のブレザージャケットの注文の際に、シルクの裏地はどうなのかと尋ねてみました。すると、オーバーコートにシルクの裏地を使うことはたまにあるようで、ストックされていたイタリアのメーカー〈Carnet (カルネ)〉のものを見せていただきました。しかし、インポートの高品位のシルクということもあり、安易に手を出すのは躊躇ってしまうほどに安くはないアップチャージが必要となります。
そこで、付属屋から国産のシルクの生地見本を取り寄せていただき、仮縫いフィッティングの際に確認させていただくことになりました。こちらは、上記のイタリアのものに比べるとある程度安価に試す事ができるものでした。
上の写真の向かって左が16匁のサテンで、右が20匁のクレープ。クレープは、縮緬のようなちぢれが表面にある織となっています。シルクの裏地にはポリエステルが混紡または交織されているものもありますが、この2つはいずれもシルク100%です。
裏地が重すぎると表地の軽さをスポイルする可能性が考えられたので、16匁のサテンを選択しました。シルクにしたのは身頃のみで、袖はキュプラとしています (袖裏は何を仕立てるにも同じものを使うので、十分に在庫されていたのでしょう)。
なお、今回はシルク100%を選択したのですが、サテンであれば、経糸はポリエステルでも肌触りの面ではシルク100%と遜色ないかもしれないですね。経糸に合成繊維を使うことでコストを下げられることはいうまでもなく、経糸がポリエステルとなることで強度や形状保持力の向上といったメリットがあるのかもしれません。例えば、下のシルク・ポリエステル交織の生地は良さそうに見えます。
キュプラと比較した目付は?
生地の重さに着目してみましたが、キュプラの裏地とどのような対比になるのでしょうか?
そこで、簡単に目付を比較してみました。スーツやジャケットなどの表地の目付はダブル幅 (約150 cm) の幅なりで表現される (g/m, gms) のに対し、今回のような裏地やシャツ生地は平方メートルあたりのグラム重量 (g/m2, gsm (gram per square meter)) で表される事が多いようです。
匁で表す絹の目付は、93 cm四方の生地の重さ (1匁は3.75 g) なのだとか。今回私が選んだ16匁だと、68 g/m2と換算されます。
キュプラの裏地についても、ひとつ代表例を考えてみたいと思います。私は、これまでさまざまな場所で洋服を作ってきましたが、なぜか裏地は示し合わせたかのように旭化成の〈AK1600〉という品番の生地をお薦めいただくことが多いです (一度だけ、ツイルのAK1800を選んだこともありますが)。AK1600はタフタ (Taffeta) と呼ばれる張りのある平織りのキュプラ生地であり、それぞれ異なる色の経糸・緯糸を配したシャンブレーとなっています。
旭化成のグループ会社が公開するデータベースによると、AK1600の目付は82 g/m2のようです。
スクリーンショット出典: https://asahi-kasei-advance.com/jp/portal/database.php 旭化成 AK1600の基本スペック
私の中で勝手に裏地の代表格となっているAK1600ですが、これを基準にすると16匁のシルクはやや軽めといえますね。もちろん、シルクとキュプラで全く違うもののため、目付だけで良し悪しを簡単に議論することはできません。
国産?中国産?
後から分かったのですが、今回私が選んだ裏地は、整理 (生地の仕上・フィニッシング)・染色は日本国内で手がけられているものの、製糸・製織は中国である模様。安いのでいいのですが、最終加工をした場所をして原産地と称するルールは消費者に優しくないですね。こうした問題はプレタポルテだとよく知られたところですが、洋服の生地に関しても、アジアで紡織し、整理だけ海のこちらで行い英国製・イタリア製、と箔がつけられているものも少なくないと聞きます……。
仕上がったジャケット
仕上がった裏地の様子は、冒頭に掲載した写真のようなもの。前回の記事にも掲載しています。もう少しクロースアップしたものが下の写真です。
色味については、スワッチで見た時は控えめに見えたのですが、実際に仕上がってみると少し派手かな、という印象。写真からも伺えるかと思いますが、ピーチスキンのような風合いが特徴的です。
次に、最も肝心な着心地について。インナーに綿のドレスシャツを着たり、ウールのニットを着たりしつつ、裏地から来る着心地に意識して過ごしてみました。その結果、キュプラと比べて滑りがよかったり、ムレが少なかったりといった風にストレスを感じさせなかったりするかというと…… 特筆した違いは感じませんでした。
一方で、肌で触れた時のシルクならではの風合い・手触りにはどこか贅沢なものを覚えます。もちろん、ジャケットを着用している間は裏地に直接肌で触れることはありませんが。また、ジャケットを脱いだときに目につく裏地の上質な風合いは、キュプラの裏地だと得難いものです。
この先乾燥が気になる季節に向かう中で、静電気のトラブルがどのようになるのかが興味深いところです。とはいえ、摩擦帯電列を見たときのシルクとキュプラ (銅アンモニアレーヨン) の特性はそれほど変わらないので、キュプラの裏地と比べたときの大きな違いはないかもしれません。下は、衣類の帯電防止スプレーを提供する消費財メーカーのライオンのWebページから引用したものですが、文献によってはシルクとレーヨンの順序が逆のものも見受けられます。
画像出典: https://guard.lion.co.jp/eleguard/coordinate/ (引用) 衣類の素材の帯電列
シルクの裏地を設る、その他の選択肢
今回、私は国内の付属メーカーが手掛けるシルクの裏地を選びましたが、他にも選択肢はありそうです。
シルクの裏地といえば、〈HERMES (エルメス)〉のスカーフを持ち込んで裏地にしてもらう、なんて話をよく聞きます。スカーフのような柄物の裏地という観点では、プリント柄の生地で有名な英国の〈Liberty (リバティ)〉からも、裏地に使えそう (※素人の主観) なシルクサテンの生地が展開されているようです。思い返せば、数年前にとある手芸屋にてLibertyのプリント入りシルク生地を見かけたのが、私にとってのシルクの裏地というアイデアの発端だったのかもしれません。
ネクタイ生地のメーカーからも、裏地に使える生地が展開されているのかもしれません。英国の〈David Evans (デイヴィッドエヴァンス)〉からそうした生地が展開されていないか調べてみましたが、詳細には辿り着けませんでした。なお、David Evansは、2021年に同じく英国のシルク生地メーカー〈Adamley (アダムリー)〉に買収されて今に至るようです。
最後に
今回は、私が直近でトライしたシルクの裏地について紹介しました。
本当は、仕立てた服の紹介をもっと多くさせていただきたい気持ちはあるのですが、どうしてもこのような付属やディテールの方に目が向いてしまいます。
このほかにも、服飾関連の生地・素材に関する記事をいくつか公開しております。ご興味があれば、下のリンクからその一覧をご確認ください。
また、同じ付属つながりという点で、ボタン、とりわけメタルボタンに関するエピソードを下の記事で紹介しています。
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