スーツやスポーツジャケットの袖山の様式を指す「マニカカミーチャ (Manica a camicia)」ということばがあります。
先日、とある調べごとをしていたところ、マニカカミーチャに関する興味深い言説を見つけました。単に私が知らなかっただけで、実際には非常に有名な話かもしれないのですが、本記事ではこのマニカカミーチャに関するストーリーを紹介したいと思います。
「マニカカミーチャ」といえば?
皆さまは、マニカカミーチャと聞いた時に何をイメージしますか?
多くの場合、下の写真のように、ジャケットの袖山にギャザーが入ったものを想像されるのではないかと思います。特にイタリア・ナポリの洋服と強く結びつくものであり、日本語だと「雨降し袖」とも呼ばれるようなディテールです。
しかしながら、ことばの意味合いを細かく突き詰めると、元来「マニカカミーチャ」だからといって「ギャザーの入った袖山」になるとは限りないといえるのかもしれません。本題に入る前に、この辺りの関係を整理しておきましょう。
マニカカミーチャは、身頃と袖の「縫製方法」
私の理解では、マニカカミーチャとは、元来ジャケットの身頃側と袖側を縫製する際の縫い代の始末方法を言い表すもの。紳士服店の方が書かれた下の記事が非常に的確な説明を提供していますので、詳細はこちらの記事に委ねさせていただきたいと思います。
元来、ジャケットはセットインスリーブで仕立てられることが主流なのに対し、構造上の違いを表すための言葉がマニカカミーチャ、と位置付けるのが、ことばの意義に沿った理解なのかと考えています。
対比としてのセットインスリーブ
下のジャケットは、イタリア・フィレンツェの某サルトリアのもの。セットインスリーブで構築されている一例として、引き合いに出してみました。柄のあるフランネルで構造がわかりにくいのですが、手元にセットインスリーブのジャケットがこれくらいしか見当たらなかったので、こちらでご勘弁ください。
こちらの一着については、袖山云々よりも上襟のクセ取りの技巧をハイライトしたいところですが、本稿の主旨と逸れるので写真1枚に留めておきます。
縫製やパターンの観点でマニカカミーチャとセットインスリーブがどのように異なるのかは、下の記事が詳しいかと思います。
元来の意味合いには、マニカカミーチャに「雨降し」は含まれないはず
何が言いたいか、といいますと、袖の縫い方がマニカカミーチャだからといって、必ずしも雨降し袖になるとは限らない、ということ。
そもそも袖のイセ込みの量が少なければ、生地の余りによるヒダは生まれません。また、アイロンワークでイセを殺してやれば、同様にギャザーは目立たなくなるものと想像されます。
マニカカミーチャはどのようにして生まれたのか?
さて、ここからが本題なのですが、なぜナポリでは袖山にたっぷりとギャザーをとるような仕立てが発展したのでしょうか?
マニカカミーチャは、ナポリ人の気質に由来するもの?
〈La sartoria Luca Verdicchio〉という、カザルヌオーヴォ (Casalnuovo di Napoli) を拠点とするサルトリアの方が書かれたと思しきブログ記事に、その答えであるかもしれない説が示されていました。カザルヌオーヴォといえば、〈Sartoria Pirozzi (サルトリアピロッツィ)〉が居を構えていたり、〈Cesare Attolini (チェザレアットリーニ)〉や〈ISAIA (イザイア)〉の工場があったりするナポリ郊外の街です。
件の文献はイタリア語のため、翻訳ツールや辞書に頼って読んだに過ぎないものなのですが、個人的に非常に興味深いものであったので、こちらで引用して紹介したいと思います。併記した日本語は、翻訳ツールや辞書を引いてイタリア語を英語に翻訳し、それを私が和訳したものなので、正確性に欠けるかもしれません。
Napoli è la patria d’elezione non solo della parola, ma anche della soluzione stilistica. Ma perché proprio qui? Sicuramente la città ha avuto fin dal Medioevo una solida tradizione sartoriale. La bravura delle maestranze partenopee era riconosciuta in tutta Europa e la metropoli campana divenne un polo manifatturiero di primo ordine. Eppure questo non basta a spiegare l’origine indigena della manica a mappina. E’ necessario ricorrere al dialetto e al modo di parlare di noi napoletani. Attenzione, per capirne il motivo non è necessario conoscere le regole della linguistica partenopea, ma basta farsi un giro nel ventre di Napoli per sentir parlare gli abitanti del centro. Si aprirà una finestra su un mondo antico, una testimonianza lessicale, storica e antropologica del passato, ma anche una forma di comunicazione diretta, viva. Il merito di questa vivacità è anche della gestualità del dialetto locale.
Le mani non sono solo una forma di comunicazione mimica, ma sono un contorno necessario, se non proprio un sostitutivo del linguaggio verbale. “Ma che vvuò?”, “mannaggia”, “si t’acchiapp” sono espressioni traducibili anche con una precisa codifica simbolica dei gesti. Se siete stati a Napoli forse ve ne sarete accorti, se non avete ancora visitato la città, fatelo al più presto, perché immergersi nella napoletanità è un’esperienza straordinaria. Se invece non avete la possibilità di fare un giro all’ombra del Vesuvio, beh vi invito a riflettere su una cosa: cosa sarebbero stati Troisi, Totò e Peppino De Filippo senza la gestualità che accompagnava la loro geniale comicità?
Bene, ho citato questi 3 grandi della commedia( e non solo) napoletana. Adesso provate a immaginarli reclusi in un vestito rigido così stretto da limitare ogni movimento: probabilmente questo look avrebbe imprigionato la creatività, la freschezza e l’esuberanza della loro arte. La manica a mappina, invece, allenta questo rapporto tra il corpo e le cuciture del tessuto e garantisce una grande libertà di movimento. Vale per gli attori, ma anche per i napoletani, in generale, abituati a relazionarsi e confrontarsi in pubblico sempre con una certa teatralità.
(拙訳) 方言においてもスタイリングにおいても、ナポリは特別な場所である。しかし、何がナポリを特別たらしめるのか?ナポリには、中世より続く優れたサルトリアーレ (テーラリング技術) の伝統がある。パルテノペ (訳註: ナポリの旧名) の職人が持つ技術はヨーロッパ中で認められ、カンパニア州の中心都市であるナポリはテーラリングの一大拠点となった。しかし、これだけではマニカマッピーナ (Manica a mappina) の土着的起源を説明するには不十分である。すなわち、ナポリ特有の方言や、人々の話し振りに眼を向ける必要がある。たとえナポリの方言に詳しくなくとも、ナポリ市街を歩いて人々の会話に耳を傾ければ、その理由がわかる。これは古代の世界を覗き見るようなものであり、同時に闊達でストレートなコミュニケーションを知ることでもある。そして、この活気の源は、ナポリの方言と結びついたジェスチャーに由来している。
ハンドジェスチャーは単なる擬態語的なコミュニケーションに留まらず、ことばを補完してあまりあるものである。”Ma che vvuò?” “Mannaggia” “Si t’acchiapp” などのニュアンスは、それぞれに紐付く象徴的なジェスチャーで表すこともできる。もし、あなたがナポリを訪れたことがあれば、こうした独特なジェスチャーに気づいていることであろう。まだナポリを訪れたことがなければ、できるだけ早くナポリを訪れてほしい。ナポリでの生活に触れることは、何事をもっても変えがたい体験になるはずである。ナポリを訪れ、ヴェスヴィオ火山の麓を散歩するのが難しければ、ひとつ考えてみてほしい。トロイージ、トト、ペッピーノ・デ・フィリッポ (訳註: この3者はナポリ出身の有名な喜劇役者・コメディアンである模様) らによる天才的なコメディにジェスチャーが伴わなければ、どのようなものになっていただろうか?
彼らのようなナポリ喜劇の巨匠が、堅苦しいスーツに身を包んだ姿を想像してみてほしい。創造性、新鮮さ、芸術的な高揚感は封じ込められてしまうだろう。一方、マニカマッピーナは、人間の身体と生地の縫い目の間に潜む軋轢を緩め、体の動きに自由をもたらす。これは前述の俳優だけでなくナポリ人全般に言えることで、ナポリ人は常にある種の演劇性をもって人々と接するのである。
出典: https://www.lucaverdicchio.it/la-manica-a-mappina/
ナポリ人とハンドジェスチャー
このように、ナポリで雨降し袖が技巧として発達したのは、コミュニケーションにジェスチャーを多用するナポリ人の気質に由来していることが示唆されています。すなわち、手や腕を大きく動かしてコミュニケーションを取ることから、洋服の上衣の方や袖周りには必然的に相応の運動量が要求された、ということのようです。こうした運動量をもたらすために袖山のイセを多く取り、それが独特な雨降しの意匠として出現するようになったのでしょう。
私からすると、ジェスチャーが多いのはナポリ人に限らずイタリア人、さらにはラテン系の人びと全般に当てはまるような気もしますが、〈The New York Times (ニューヨークタイムズ)〉による下の動画によると、イタリア人のジェスチャーは南イタリアが古代ギリシャの支配を受けたことに端を欲するという説があるようです。
ギャザーの寄った袖山を言い表すことば
ところで、上で引用した文献に「マニカマッピーナ (Manica a mappina)」というものが登場しました。最後に、ことばの整理を行なってこの記事を締めくくりたいと思います。
マニカマッピーナ (Manica a mappina)
ご存知の方も少なくないと思いますが、「マニカマッピーナ」こそが、ナポリにおいてこの記事の冒頭で掲載したような雨降し袖を表すことばとなっています。前述の私の主張のように、「マニカカミーチャ」はあくまで縫い代の倒し方を表すもので、ギャザーの入った袖山はマニカマッピーナと呼ぶ、という構図なのでしょう。
別のイタリア語の文献を辿って、この辺りの関係を整理しておきたいと思います。こちらも翻訳に自信はありませんので、眉唾で読んでください。
La giacca di stile napoletano, realizzata con la manica a camicia è così definita proprio perchè visivamente sembra proprio una manica di camicia.
La manica cucita “a camicia”, ovvero il tessuto è applicato al di sotto della spalla come si usa nelle camicie, con una leggera morbidezza del giro: a Napoli si dice che è cucita “a mappina”.
La “mappina” o “repecchia” è proprio quella caratteristica che presuppone un giromanica “a camicia” nella sua parte superiore (la cosiddetta “tromba) è più bombata e rotonda. Nello specifico si ottiene lavorando sulla lentezza della “tromba”, quest’ultima avrà un’ampiezza maggiore del giromanica e così quando si unisce la manica al giro si otterrà proprio quell’effetto arricciato (repecchia) della manica sulla spalla.
(拙訳) ナポリスタイルのジャケットは、マニカカミーチャで形作られている。見た目がシャツの袖に似ていることからそう呼ばれている作りだ。
袖は「シャツのように」縫われている。すなわち、シャツと同様に袖の生地は肩の生地の下に重なるように設えられ、袖山が少し柔らかく縫製される。これは、ナポリでは「マッピーナ (A mappina)」と呼ばれる。
「マッピーナ」あるいは「レペッキア (Repecchia)」とは、まさに「シャツのように」アームホールの上部(いわゆる「トロンバ (Tromba、トランペット)」)をより丸く膨らませたものである。具体的には、トロンバはそのイセ込みによってアームホールよりも大きくなる。そして、袖が身頃に縫製されると肩に袖のたわみ (レペッキア) が生まれる。
出典: https://www.linkedin.com/pulse/manica-camicia-effetto-repecchia-sergio-cairati/
なお、”Mappina” ですが、ナポリの方言で「ボロ布」や「雑巾」を意味する “Mappa” に、文法チックに言うところの「縮小・親愛をあらわず変意名詞」がついたものの模様。「雑巾みたいな袖」というのは、何ともイメージし難いですが。
レペッキア (Repecchia)
先ほど引用した文献に、また新たな用語が登場しました。マニカマッピーナと同様にナポリのサルトが使うことばのようなのですが、袖山のギャザーそのもののことを「レペッキア (Repecchia)」と呼ぶようです。
私にとっては、今回の件を調べ始めるまで聞いたことのなかったことば。上で引用したもの以外の文献でも頻繁に登場します。
スパラカミーチャ (Spalla a camicia)
本件についてWebで情報収集をしていると、サルトリアルファッションを解説する英語のメディアでは、マニカカミーチャではなく「スパラカミーチャ (Spalla a camicia)」という表現を多く目にしました。
マニカ (Manica) は袖、スパラ (Spalla) は肩。袖付けの技法を表す上で袖・肩のどちらに着目しているかだけの違いであり、本質的な違いはないように感じます。
最後に
今回は、マニカカミーチャに関する最近の私の気付きを紹介しました。
その風土を背景に、独自の発展を遂げたサルトリアナポレターナ。雨降し袖は、その軌跡を辿るひとつの道しるべとなっています。ただし、今回取り上げた言説は私自身で十分な裏取りをしたりしたものではないので、あくまで検証されていないひとつの説として受け止めていただけると幸いです。
また、マニカマッピーナ (Manica a mappina) やレペッキア (Repecchia) といった、日本のメディアであまり目にしない用語についても取り上げてみました。当サイトでも、袖山の雨降しのことはマニカマッピーナと呼ぶようにしています。
当サイトでは、他にもサルトリアルファッションに関する情報発信を積極的に行なっています。マニカカミーチャの他にも、閂止めや裏地などディテールに着目した記事などもいくつか書いておりますので、ご関心があれば下のリンクからアーカイブ記事をご覧ください。
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