4月も終わりに差し掛かり、いよいよ夏服が本格稼働するシーズンとなりました。

そんなタイミングで届いたのが、昨年注文しておいたサマーキッドモヘアのスーツ。ちょうどそろそろ袖を通せたら、と思っていたタイミングでの納品となりました。

この一着が手元に加わるまで、実は春夏の畏まったスーツが1着しか手元にない、という不便な状況が続いていました。今回は、そんな背景も交えてお話ししていこうと思います。
投資を怠ってきた、春夏のドレスウェア
洗濯機で洗える安価な既製品を、数年で着潰す。以前、下の記事にも書いたのですが、私はこれまで春夏のスーツ・ジャケットに対してはこのように向き合ってきました。
春夏の重衣料を仕立てるモチベーションが向上
ただ、秋冬向けに作っている注文服などとは異なり、そうした安物を纏っているとどうしても気分がアガりません。また、個人的な境遇として、以前と比べると炎天下をスーツ・ジャケパンで長時間歩くようなことが減り、汗対策のシビアさが少し薄れたという点もあります。これは仕事の性格が変わったためにそうなったという側面もあれば、経費精算できるにせよできないにせよ、酷暑の日は歩かずにタクシーに甘えるようになった、という側面も。
さらに、昨今の気候変動によって、春夏の洋服が稼働する期間が昔よりも長くなっていることも重要です。裏を返すと、秋冬の洋服ばかり作っていても、着られる時期が短いので勿体無い。そんな理由で、近頃は春夏のワードローブ強化に注力するようになりました。

春夏に着られる、手持ちの唯一のスーツ
実際に、ウォッシャブルな既製品は除き、それなりに手が混んで作られたスーツとして手元にあったのは、下の一着のみでした。

伊勢丹が企画・仕入れした、イタリア・ナポリの某サルトリアのスーツです。暗めのダークネイビーはセミフォーマルを感じさせる面持ちで、ビジネスシーンでスーツとして着るにはトゥーマッチ。スーツとしては出番が非常に限定され、使い勝手の悪いものとなってしまっていました。しかし、まったく出番がないわけではなく、ジャケットをグレーのオッドトラウザーズと組み合わせて着たりしています。
なお、こちらは下の記事で紹介したダークスーツとは別のものです。上の写真のものはウールモヘアのトロピカルで、下の記事のものはクリアなサージで仕立てられています。
Scabalによるヴィンテージのサマーキッドモヘア
さて、ここから本題の新しいスーツについて。
ScabalのRoyal Montego Bay
選んだ生地は、名門マーチャント〈Scabal (スキャバル)〉のヴィンテージ。〈Royal Montego Bay (ロイヤルモンテゴベイ)〉と名付けられたものです。

既製品も含めて、私にとって初めて手にしたScabalファブリックの洋服となりました。Scabalでは一部のウールモヘアが「*** Bay」という名前でシリーズ化されており、〈Flamingo Bay (フラミンゴベイ)〉や〈Kingston Bay (キングストンベイ)〉などといった名前の生地とともに〈Montego Bay (モンテゴベイ)〉があったのだとか。簡単に調べてわかった限りだと、どれも目付は同じくらいで、モヘアの混率やウールの繊度が異なるようです。ちなみに、ジャマイカにMontego Bayというビーチリゾートで有名な都市があり、私が手にした生地の名前はこちらに由来しているのでしょう。


Grahampurse, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
そして、各々の上位グレードとして「Royal」を冠するものが限定的に生産・リリースされているらしく、今回のRoyal Montego Bayもそのひとつであったようです。ただ、具体的に何がどう上位グレードなのかはわかりませんでした。原毛のクオリティが高いのか、紡績・製織・整理が一味違うのか。
なお、上の写真からも垣間見えるとおり、用尺に対して生地が少し短めだったのですが、何とか形にしていただけました。ヴィンテージ生地あるある、といったところでしょうか。
ザ・サマーキッドモヘア
組成は、キッドモヘアが60%にスーパー100’sのウールが40%となっており、経糸がウール、緯糸がモヘアなのだと思われます。目付は目測で250 g/m前後といったところで、キッドモヘアを使った軽めのトロピカル、すなわち王道的なサマーキッドモヘアと呼べるものでしょうか。

同じくサマーキッドモヘアの範疇に属するとされる〈Dormeuil (ドーメル)〉の〈Super Brio (スーパーブリオ)〉や〈Harrisons (ハリソンズ)〉の〈Cape Kid (ケープキッド)〉などと似たようなスペックで、風合いも然り。いずれもよく目にする生地ですが、私には見分けがつきませんでした。なお、上で紹介したダークネイビーのスーツも、同様の組成・目付のウールモヘアなのですが、生地のブランドについては失念してしまいました。購入時に聞いたような覚えはあるのですが……。
ラムズウールやベビーカシミヤと同様、モヘアも仔山羊のものだとありがたみが増すような風潮があります。ただし、同じファーストクリップでも、羊やカシミール山羊とは異なり、アンゴラ山羊は幼獣と成獣とで毛の繊度が大きく異なるのだとか。とある文献によると、キッドモヘアは24-27 μm、アダルトモヘアは40 μmとのことで、1.5倍近くも異なります1。そのため、「キッド」の如何で繊維の性質が大きく異なることになります。カシミヤの場合だと、ベビーカシミヤで13-14 μm、成獣のカシミヤだと14-16 μm程度のものが多いようで、モヘアほどの開きはありません。

なお、過去にもウールモヘアの洋服を紹介しましたが、これらは目付がもっとしっかりとしたものになっています。これら2着はDormeuilに例えると、Super Brioよりも〈Tonik (トニック)〉寄りの生地だといえます。
Tonik寄りといえば、Scabalからはかつて〈Titan (タイタン)〉という生地が提供されており、こちらも評価の高いものだったようです。
疑問 – ヴィンテージのモヘアの魅力とは?
「ヴィンテージ」と紹介したこちらの生地ですが、織られたのは1970年代から1980年台に掛けてなのだとか。国内の生地問屋で長らく在庫されていたもので、私がお世話になっている仕立て屋に着分で流れてきたようです。
モヘア混の生地は昔のもののほうが上質である、といった言説をよく耳にしますが、これは何故なのでしょうか?ChatGPTのDeep Researchに調べさせてみたところ、いくつか挙げられた理由の中に「当時まだ多く稼働していた低速織機は、現代において主流のシャトル織機よりも強撚の糸を織るのに優れているから」といった説がありました。然もありなんです。

Fumihiro Kato, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
一方、古い生地は脂が抜けており、特に緯糸がモヘアだとトラウザーズがセンタークリースに沿ってパキッと割れる、といった話を耳にすることもあり、ヴィンテージは返って不利なのでは?と感じる面もあります。今回の洋服も、少しばかりそうした心配がよぎります。
袖を通してみて
仕立てについては、いつもと特に仕様が変わっておらず、特筆すべき点が見つかりません……。上で取り上げた〈William Halstead (ウィリアムハルステッド)〉のジャケットと同様に、裏地は半裏にしていただきました。




本品の納品後早々、客先の役員の方のもとへ足を運ぶ用事が生まれたので、早速袖を通してみました。

タイの小剣が大袈裟にズレていますが (笑) 大剣幅が7.5 cmと細めのものなので、ラペル幅とのバランスを取って…… と言い訳しておきます。タイはウールシルクのイリディセントツイル。「ソラーロ」という呼称は〈Smith Woollens (スミスウールンズ)〉の商標なのでおいそれと使うべきではない…… と考えましたが、Smith Woollensの生地を使っている可能性もあるかもしれません。

ドレスシューズと書類鞄は黒のボックスカーフ。タイが少し華やかではありますが、春夏のビジネスアタイアとして最上級に畏まったスタイリングと相成りました。

この記事を公開する直前のタイミングで、とある人物のとあるオケージョンでのスーツの色味が話題になりました。そんな報道に着想を得て、今回のスーツと、ここまで話題に出した別のウールモヘアの洋服の色味を比べてみました。

このように比べてみると、William Halsteadのジャケットはかなり明るいブルーで、セミフォーマル向けだと称したスーツはかなり暗いのがわかります。ビジネスシーンには、今回のRoyal Montego Bayのスーチングがちょうどいい感じ。
最後に
今回は、届いたばかりの春夏向けの注文服を取り上げてみました。

このほかにも、昨年注文した春夏向けのジャケットやトラウザーズが完成を控えており、私のワードローブもようやく亜熱帯化する東京の気候に適応せんとしています。トラウザーズの方は、ちょっとスペシャルなモヘアで仕立てていただいているもので、こちらも非常に楽しみです。
春夏のスーチングといえば、今最も気になっているのが〈Maison Hellard (メゾンエラール)〉のカプセルコレクションです。〈Sainte Victoire (サントヴィクトワール)〉と〈Nuit parisienne (ニュイパリジェンヌ)〉という2つがあり、どちらもリネン100%で無地のツイルを集めたもの。それぞれ、プロヴァンスの自然と夜のパリをモチーフとしたものでしょうか。

リネン100%のツイルといえば、先日紹介した下のジャケットもそのひとつです。そして、こちらの記事の末尾でも引き合いに出したのがMaison Hellardでした。
見た目には涼しげかもしれませんが、着ている側は決して涼しくないリネンのツイル。これからの仕込みだと完成は来年春夏のタイムラインとなりますが、ぜひそんなスーツを手に入れてみたいと思います。
- 大西 基之、メンズ・ウエア素材の基礎知識 毛織物編、万来舎、2014年 ↩︎
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