つい先日、X (旧Twitter) を徘徊していたところ、某ファッションインフルエンサーによるオリジナルブランドの商品が、仕様のミスマッチやら何やらでプチ炎上 (?) しているのを目にしました。
その渦中にあったのはムートンのジャケット。非常に高尚な信念のもとで企画・製作された品のようでして、氏の発信動画や商品ページを見る限り悪くはなさそうに見えます (あんまりちゃんと見てないけど……)。
実は、私も数年前にこのインフルエンサー云々とはまったく関係のない経緯で、ムートンのジャケットを仕立てたことがあります。ムートンはムートンでも、「トスカーナシアリング」と呼ばれる少し珍しい仔羊 (ラム) の毛皮を使っています。
こちらは、過去に〈NAKATA HANGER (ナカタハンガー)〉のハンガーを紹介した際に、そのハンガーに掛けた様子を紹介したものです。
今回は、こちらの一着を紹介していきたいと思います。
トスカーナラムシアリング
まずは、材料となっている革に着目してみます。
用語の整理
本題に入る前に、少しだけ用語の整理をしておきたいと思います。
「ムートン」と「シアリング」
羊の毛皮は上記のとおり「ムートン」と呼ばれるのが一般的ですが、本稿では「シアリング (Shearling)」という呼称を使うこととします。
元来、フランス語の “Mouton” は毛皮に限らない羊革全般 (英語で言う “Sheepskin”) を指すのに対し、シアリングは羊の毛皮を指すことばとなっています。そして、今回のブルゾンに使われているのはラムのトスカーナシアリングなので、これらを組み合わせて「トスカーナラムシアリング」と呼ぶこととしています。
「ブルゾン」とは何であって、何でないのか
ところで、今回紹介するもののようにスポーティーな出立ちのジャケットは、概して「ブルゾン (Blouson)」と呼ばれることが多くはないでしょうか。実は、私も本稿を作成する中で初めて知ったのですが、ブルゾンとは腰周りにリブを設けるなどすることで、裾が腰骨あたりの位置で止まるようにし、裾周りの生地を弛ませて着られるようにしたジャケットのことを指すようです。有名なところでいうと、米空軍の〈MA-1〉や〈Baracuta (バラクータ)〉の〈G9〉または〈Valstar (ヴァルスター)〉の〈Valstarino (ヴァルスタリーノ)〉などがこれに当てはまります。
ブルゾンは英語にすると “Blousing jacket (ブラウジングジャケット)” となります。着こなしの文脈において、インナーの裾をパンツにタックインし、生地を弛ませることを「ブラウジング」と呼ぶことからも、ブルゾンが元来意味するところが何かを窺い知ることができます。
翻って、今回のジャケットは上記の定義には当てはまらないため、これを「ブルゾン」と呼ぶのは正確ではないかもしれません。そのため、単にジャケットと呼ぶこととしました。
よくある洋服用のシアリング
前置きが長くなりましたが、ここからが本題。
さて、「トスカーナシアリング」にはジャケットやコートに一般によく使用されるシアリングと比べて変わった点があります。そこで、最初によく目にするようなシアリングの一例を引き合いに出してみます。こちらは、とあるイタリアブランドによるブルゾンジャケットで、かれこれ15年以上前に購入し、今は手放してしまったものです。そのため、写真が古く鮮明ではないことをご了承ください。
「ムートン」と聞くと、下の写真のようにちょっとカールしたような毛足が連想されることが多くはないでしょうか?
長毛の毛並みを持つトスカーナシアリング
一方で、今回紹介するブルゾンの内側は、下のように長くて真っ直ぐな毛で覆われています。質感はキツネの毛皮 (フォックスファー) に似たものです。
トスカーナシアリングは「トスカーナ種」と呼ばれる、欧州の山岳地帯に出自を持つ品種の羊の毛皮なのだとか。家畜である羊は、革質や食肉としての肉質が優れているものの毛 (ウール) の質が劣るヘアシープと、それとは真逆のウールシープに大別されると聞きます。そうした中、トスカーナ種は革質・毛質ともに優れているため、上質の毛皮を生み出すことができるのだそうです。このように、単になめし方・仕上げ方が異なるというのではなく、羊の品種からして一般に出回っているシアリングとは異なるようです。
3.3 ヘヤーシープとウールシープの中間のタイプ
前述のエチオピアシープを中心としたヘヤーシープに加えて、皮革産業の立場から重要視される羊は主として北緯30度から45度の間で飼育されている羊である。
これ等はヘヤーシープとウールシープの生息する地域の中間に当たるスペイン、ギリシャ、フランス、トルコ、そしてイラン等から産出する羊皮でギリシャラム以外は平均サイズ55~65D.S./枚と大きく、皮質もヘヤーシープとウールシープの中間の品質で、銀面と床面が分離する事も無く、銀面の傷も少ない皮が多いので、衣料用革及び甲革やブーツ等の靴用革として幅広く使用されている。特にスペインラム(スペインラムスキン)はこれ等の用途に最適な素材である。
スペインラムにはエントレフィーノ種(Entrefino種)とメリノ種、トスカーナ種(Toscana種)等が有りエントレフィーノ4種は主として靴用、衣料用、手袋用に使用されて居り、メリノ種、トスカーナ種からは主として上質の毛皮(ダブルフェース)が作られている。(エントレフィーノ種からもダブルフェースは作られている。)
出典: 清水正訓、シープ革について、かわとはきもの、No. 140、2008年
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/140_2.pdf
なお、ヘアシープスキン繋がりで、英国の名門〈Dents (デンツ)〉による手袋を下の記事で紹介しています。
そもそも、このジャケットを実際に仕立てる前の構想は、毛皮ではなくホースハイドのブルゾンを作ることでした。しかしながら、仕立て屋の工房を訪れ、サンプルとして飾られていたトスカーナラムシアリングの上着の作例や、在庫されていた丸革を目にし、「表革ではなく、この革のジャケットを作りたい」と翻意したのでした。
丸革でも小さいラムスキン
前述のように、注文に先立って仕立て屋で在庫していたトスカーナラムシアリングの丸革を見せていただきました。仔羊ということもあってか、とても小さな革なのが特徴的です。丸革でも30-40デシ程度の大きさしかありません。革が小さいので、1着のジャケットを仕立てるのに5-6枚の丸革を仕入れる必要があるのだとか。
「ナッパ調」に仕上げられた床面
シアリングの上着は、毛のある方の面を内側にして仕立てられることが大半です。毛のある方と逆側の面は肉に接していた面、すなわち床面となります。
スウェードをイメージするとわかりやすいですが、一般に革の床面は毛羽だった状態で仕上げられます。一方、シアリングの床面は表革のようにスムースな仕上がりとなることが多く、今回私が選択したトスカーナラムシアリングもそのひとつ。このように、薬剤などで床面の毛羽を寝かせた状態で仕上げることを「ナッパ (Nappa) 調」や「ナッパ仕上げ」と呼ぶようです。
一方で、羊革や山羊革を柔らかくなめした銀付き革 (牛革を含む場合も) が「ナッパレザー (Nappa leather)」と呼ばれてことが多くあります。このナッパレザーは銀付き革で、床面の毛羽を寝かせたナッパ調とはまったくの別物です。改めて調べてみると、まず最初に存在していたのが銀付き革のナッパレザーであり、そして床面に加工を施すことでナッパレザーに風合いを似せた「ナッパ調」という仕上げが確立した、という順序のようだと見出しました。
⑩ダブルフェイス
出典: 今井哲夫、皮革の基礎知識、かわとはきもの、No. 148、2009年
主に、ラム毛皮の肉面をスエードまたはナッパ調に仕上げたもので、両面の利用が可能である。
ナッパ調:ナッパは、羊皮、ヤギ皮から手袋や衣料用に仕上げた銀付き革。ナッパ調は、柔らかい衣料用のような感じの革のことをいう。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/148_3.pdf
なお、この「ナッパ」は、米国カリフォルニア州のワインの名醸地であるナパヴァレー (Napa Valley) に由来しているというのは有名な話です。当地にて、上記のナッパレザーのような革が生産されていたのが広まったのだとか。
完成したブルゾンの様子
上記のように、トスカーナラムシアリングという個性的な革に惚れ込み、ジャケットの製作を依頼することにしました。
ボディのパターンは店頭のサンプルをベースとし、着丈や襟の高さ、身頃のポケットの仕様などは当時の気分でリクエストしています。また、工房が遠方で通いにくいことなどを理由に、仮縫いなしの直縫いで仕上げていただいています。ベースの形はスタンドカラー (立ち襟) のライダースジャケットをイメージしたもので、着丈は実寸で69 cmの仕上がりとなりました。
下の写真のように、紡毛のトラウザーズやハイゲージのニットウェアなどとの組合せで活用したいイメージを共有し、作っていただいています。
表面は一見スムースレザーっぽく見えますが、前述のとおりナッパ調に仕上げられた床面となっています。
内側の毛皮
写真撮影時の光源の色味が微妙なのですが、内側は袖裏も含めてこのように全面毛皮となっています。ダウンジャケットに負けず劣らずの保温性をもたらしてくれます。
ファスナーを閉めてみました。冒頭の伏線回収、というわけではないですが、前身頃のファスナーはダブルジップとなっています。前身頃の両脇にはボディの縫い目に沿ってポケットが設られており、真鍮のスタッドボタンで閉じられるようにしていただいています。襟元や袖口、身頃の裾から毛が少し見えており、トスカーナシアリング特有のラグジュアリー感を覚えるポイントです。
裾のヘリ返し
注文の際に1点だけ拘ったのが、袖や身頃の裾の始末です。このようなシアリングのジャケットやコートは裾が切りっぱなしで仕上げられることが多いようなのですが、ヘリ返しで仕上げてもらっています。切りっぱなしは野生的な印象を覚えてしまい、もう少し都会的に寄せたいという思いから。
ヘリ返しにするためには、裾となる毛皮の縁の毛をバリカンで刈って折り返し、ミシンで叩く必要があるので、切りっぱなしにするよりも一手間かかるのだとか。
ところで、上で「典型的なシアリングジャケット」として挙げたものは、襟元が折り返されて毛足が見えるようになっているため、一見してムートンだとわかりやすい部類といえます。一方で、今回のジャケットは敢えて一見してムートンだとわかりにくい意匠を選びました。
シアリングは軽い…… のか?
今回シアリングのジャケットを取り上げるにあたり調べごとをしていると、「ムートンの衣料は軽い」といった言説を多く目にしました。本当でしょうか……?
そこで、キッチンスケールでこのトスカーナラムシアリングのジャケットの重さを測ってみたのですが、結果は1,300 g。私の感覚では、これはアウターとして軽量な部類には入りません。比較対象として、比較的丈の短い手持ちのダウンジャケットを測ってみたところ、こちらは510 gとなりました。850フィルパワーと高性能なダウンを使いつつも、それほど嵩が大きくないものなので、比べるにはやや極端かもしれませんが。いずれにせよ、やはりダウンは軽くて暖かい機能的な防寒着であることが再確認されます。
なお、過去に下の記事で紹介したライダースジャケットと比べると、今回のシアリングジャケットの方が軽量です。こちらは厚さ1.0 mmのベジタブルタンニンなめしの革を使っているということもあり、極めて重量級の一着。
最後に
少し変わった経緯でしたが、今回は私が昔に仕立てたシアリングのジャケットを紹介しました。
全体的に好意的なポイントを並べましたが、実のところはフィッティングには少し課題ありの一着となりました。レザーという難しい素材を使うということもあり、仮縫いをつけておけばよかったと後悔しています。
冬場のアウターといえば、ダウンジャケットか布帛のコートに手が伸びがち。クローゼットのバリエーションを広げるのに、ムートンはちょうどいいアイテムかもしれません。冬場のアウターについては、下の記事にて〈Moorer (ムーレー)〉のダウンコートを紹介しています。ご関心があれば、併せてご覧ください。
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