先日、2022年の暮れに大阪・泉大津市の紡績・毛織物メーカー「深喜毛織 (ふかきけおり)」とそのミルショップに関する記事を公開しました。
商品のほぼ全てが冬物で占められることもあり、2022・2023年秋冬シーズンのミルショップの営業は2月3日をもって終了となったようです。同社の魅力を発信するにはやや遅きに失してしまった感がありますが、今回はシリーズの締めくくりとして、スタッフの方から伺った深喜毛織の取組みや商品動向について紹介したいと思います。
動物福祉とカシミヤ原毛の調達
紹介の順番が前後したのですが、店内に入って最初に目に飛び込んでくるのは、下の写真に写っているようなオブジェ達です。
真ん中にはカシミール山羊の剥製が鎮座しており、その向かって右隣のテーブルにはチーゼルの実やショップカードなどが並べられています。チーゼルの実は、古来より織ったカシミヤの生地を起毛させるのに使われている道具で、Johnstons of Elgin (ジョンストンズオブエルガン) やPiacenza (ピアツェンツァ) のロゴにその面影を垣間見ることができます。
スクリーンショット出典: https://www.piacenza1733.com/en/home_en/
カシミヤの原毛採取の道具と方法
さて、上の写真に写っていたカシミール山羊の剥製の手前には、熊手状の道具が置かれています。ここ最近までは、この道具を使い、毛を梳くようにして原毛の採取がなされてきたとのことです。
なお、最終的に利用価値が高い繊維として使われるのは、体表に見えている太い毛 (刺毛・ヘアー) ではなく、その下に生えている産毛 (ファー) であることは有名な話です。一般に、カシミヤは刺毛の混入が少ない糸・生地ほど上等だとされています。加えて、産毛も一本一本の細さと長さが重要だとされているとのことです。
優れたカシミヤ原毛の原産地は、1年を通じての寒暖の差が激しい山岳地が多いようです。そうした地域では、カシミール山羊は保温性に優れた産毛を蓄えて厳しい冬を耐え抜いており、それが良質な繊維の源泉となっているのでしょう。
この写真だとわかりにくいですが、熊手状の道具にも産毛っぽい毛が付着している、気の利いた展示になっていますね。
カシミヤ原毛の採取方法における変化
一方で、動物福祉の観点から、現在は原毛の採取方法にも変化が生じているとのことです。件の熊手状の器具、刺毛を掻き分けて産毛を梳けるように先端が尖っています。こうしたもので皮膚を撫でられると、山羊も痛みを覚えてしまうのでしょうか。これは昨今の価値観にそぐわないということで、現在はこの道具を使わずにハサミで原毛を刈り取るように変わっているという話を聞かせていただきました。
ハサミで原毛を採取するのは山羊への負担は小さいものの、原毛の歩留まりは悪化してしまうようです。熊手で毛を抜くように掻き出すのと、ハサミで産毛を切り取るのとでは、前者の方が毛を毛根に近いところから採取することができます。すなわち、ハサミだと採れる毛が短くなってしまい、同じ山羊の産毛から作れる糸のボリュームが少なくなってしまうことになります。
サステナブルソーシング
アパレルメーカーや消費者が動物福祉を含むサステナビリティに敏感になっている現代においては、動物の負荷を少しでも和らげる施策をとることが重要になるのだと予想されます。特に、カシミヤをはじめとした高級獣毛繊維メーカーという観点で深喜毛織の競争相手になるのは、Loro PianaやPiacenzaといった欧州のメーカーになることでしょう。下の資料でも示唆されているとおり、動物福祉に関しては、人々の意識や法整備の観点で欧州の方が進んでいるとされています。サステナビリティの観点からも、そうした欧州のメーカーに対する競争力を向上させようとする取り組みは賞賛されるべきものと感じます。
ところで、カシミヤの原毛採取は、伝統的に現地の遊牧民によって手掛けられていることが多いようです。そのうえで、深喜毛織は中国企業との合弁会社を通じて現地の協同組合から原毛を仕入れ、日本で紡績・加工を行なっているとのことです。加えて、ハサミによる原毛採取の点も含め、現地の従事者に技術指導を行うことを通じて品質管理や商品力の向上を図っていることを教えていただきました。
カシミヤの消費と砂漠化の進行
上記のとおり、深喜毛織ではカシミヤの調達にあたってサステナビリティを考慮したサプライチェーンが築かれようとしているものの、自然環境負荷の観点からはカシミヤへの逆風も存在するようです。
上でも触れたとおり、カシミヤの原産地の多くで、カシミール山羊は遊牧によって飼育されています。草食動物であるカシミール山羊は草を食んで暮らすわけですが、他の家畜とは異なり、彼らは草を根も含めて食べてしまうことが問題視されているようです。草が根こそぎ食べられてしまうと、牧草が枯れ尽くしてしまいます。放牧地は次から次へと移されますが、残された土地は砂漠状態となってしまいます。こうした問題はかなり前から報じられていたようですが、私は今回のミルショップの訪問を通じて初めて知るところとなりました。
砂漠化問題の槍玉に挙げられているカシミヤ。世間のサステナビリティの意識の向上に伴い、幻の繊維と化していくのでしょうか?それとも、テクノロジーによるブレイクスルーが持続可能な選択肢をもたらしてくれるのでしょうか?
2023年7月追記
NHK World-Japanにて、モンゴルにおけるサステナブルなカシミヤ原毛の生産をテーマとしたドキュメンタリーが公開されています。
下の記事でハイライトを紹介しています。よろしければ、併せてご覧ください。
最後に
直近3回にわたって、日本で卓越したものづくりに取り組む深喜毛織について触れさせていただきました。非常に高品質な獣毛生地が日本から生み出されていることは嬉しく感じますが、カシミヤをはじめとした獣毛繊維のサプライチェーンが抱える課題も垣間見ることができました。
なお、パンデミックの前には一般向けに実施していた工場見学、今後の状況次第では再開の可能性もあるとのこと。チャンスがあれば、紡績から生地が織り上がるまでの過程を一度目にしてみたいと思います。
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